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第4回 イスラム世界史Ⅱイスラム教の原点と日常生活の一端

 

. イスラム教は「アッラー」を唯一の神としている

イスラム教の「アッラー」は、ユダヤ教とキリスト教と同じ神、つまり根っこは一緒だ。これらの宗教の創始者は、イスラム教はムハンマド、ユダヤ教はモーゼ、キリスト教はイエスで、いずれも同じ神から啓示を受けて出発した。それはコーラン、旧約聖書、新約聖書にそれぞれ記されている。

 

2. イスラム教の創始者ムハンマドが出て来たいきさつ

AD540年ムハンマドが40才のときにアラビア半島のメッカの洞窟で突然神からの言葉を聞き、これを人々に伝え始め、ムハンマドの死後、彼の秘書と支持者がこのアッラーの啓示を書きとめたのがコーランだ。メッカは、当時日本と同じく八百万(やおよろず)の神の世界だったので、アッラーを唯一の神だとするムハンマドは迫害された。そこで622年にメッカからメジナに逃れた。これがヘジラ(聖遷)だ。しかし、メッカは当時ユダヤ人が多い社会であった。信奉する神は同じ神だが、ムハンマドの聖書引用は仄聞で不正確であるためにユダヤ人はムハンマドに協力しなかった。

 

イスラム教徒とユダヤ教徒との確執のもとは、ムハンマドが布教をはじめたときにユダヤ教徒やキリスト教徒が自分を支持してくれると期待していたのに、彼らに支持されなかったことに遡る。しかし、ムハンマドは彼らに対していちおう「啓典の民」と呼び、敬意を表していた。

 

3.コーランの成り立ち

ムハンマドは商人として成功し、同時に思慮深い人だった。メッカ郊外の洞窟で降臨した天使ガブリエルが、ムハンマドに神の言葉として伝えたものを、彼の死後114章にまとめられたものがコーランだ。この成り立ちからイスラム教にとってはユダヤ教やキリスト教が先輩格だという構図には変わりないが、その内容はコーランの編纂時のユダヤ・キリスト教徒との敵対情勢も色濃く反映している。当初はユダヤ人、キリスト教徒に対して穏やかな態度であったのに、後には厳しい態度に変っている。

 

しかし、イスラム教では「神の啓示」としてのコーランを、その後、色々と解釈し、アラブ諸国各地で日常生活への運用が異なってきている。一例を挙げれば、ムハンマドは飲酒について何度か神から啓示を受けていた。最初は「飲んでいい」となっていたのが段々変っていって、「慎め」になった。イスラム原理主義のサウジアラビアなどでは禁酒だが、トルコ、イラク、レバノンでは「ァラック」というアルコール度の高い蒸留酒もある。一般に現代では、「飲んではいけない」と思われている。穏健なイスラム国では、節度を持って飲めるならOKの国も多い。飲むと喧嘩したり、神の戒め忘れるようになるから禁止だと言われている。

 

イスラム教では、コーランこそが神が啓示した最終・最新の教えであるとして信奉している。こうしてコーランに基づいた特有の生活規範が生まれた。その日常生活に関係ある例を挙げてみよう。

 

4. コーランの教え:女性の服装

コーランには女性の服装について「ジルバーブ」を纏(まと)えとなっている。これはベストとかマントとかベール(ヒジャーブ)のこと。それは、女性の体で外に露出している部分はさておき、それ以外の美しいところは隠せという内容で、解釈によっては随分幅がある。アフガニスタンのようにブルカで目以外はすべて隠す国からトルコように欧米・日本と同じ服装で良い国もあり、様々な解釈が実践されている。

 

5. コーランの教え:豚を食べてはいけない

コーランには、豚肉や死んだ動物の肉を食べてはいけないとだけ書かれている。その理由は書かれていないが、羊や牛に比べて豚の生活習慣が不潔で伝染病など衛生問題の原因動物だとの認識があったようだ。

 

現在ではこの部分が非常に精緻にタブー化されて、如何なる豚由来の材料の使用も禁じられてハラ―ル食の基本のひとつとなっている。2001年に「味の素」の製造過程で豚の内臓に由来する酵素が使われていたとされる理由で、インドネシア駐在の同社職員が逮捕される事件があった。実際は、会社の処遇に不満な現地従業員のデマで、事実無根であったらしい。いずれにしても国と地域と本人の信条によってタブーの解釈に大きな幅があることを知っておいたほうが良い。

 

6. コーランの教え:ラマダンの断食規定 

ラマダンの断食は一年の内一ヵ月間、夜明けから日没まで食事を取らない規定だ。食事も満足に取れない貧しい人々への思いを忘れずに仏教でいうお布施の勧めの意味もあったようだ。だから、病人・子供・旅行者・妊婦・乳幼児を持つ母親は断食しなくていいとの寛容さも見られる。

 

7. コーランの教え:一夫多妻の承認

コーランに「あなたがみなしごに公正にしてやれそうもなかったら、二人目、三人目、四人目の妻をもらえ」とある。その理由までは書かれていない。戦争で夫を失って乳飲み子を抱えて困っているような女性を助ける意味があったともいわれている。

現代のイスラム社会では四人どころか複数の妻を持つ男性は経済的な理由できわめて少数だ。

                                                                                                                                                                                                                                                                                              (記:永松道晴)

参考出所:コーラン{上} 井筒俊彦訳 岩波文庫 

        新・旧約聖書 日本聖書協会1962年版

 

 

 

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